奈良⇔山形

絵描き、三瀬夏之介の日々諸々。
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「ムカサリ絵馬」を「展示」することについて
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    「ムカサリ絵馬」を「展示」することについて

     

     

     「ムカサリ絵馬」は「展示」してよいものなのだろうか。この問いかけは企画当初の我々の中にもあり、そして時折、他者からも投げかけられる。

     本来、「ムカサリ絵馬」の多くは寺社の本堂や観音堂など信仰の場に掲げられている。そこを訪れる者は誰でも「ムカサリ絵馬」を目にすることができるのであるが、それはもちろん「展示」ではない。

     今回は、9つの寺院と山形県立博物館から特別に絵馬をお借りすることが出来た。しかしながら実は、「ムカサリ絵馬」は「供養のためのものであり展示するものではない」と、いくつかの寺院からは絵馬をお借りすることを断られている。

     絵馬の借用を断られること、それは当然のことである。なぜなら「ムカサリ絵馬」は未婚で亡くなった方のために、生前に果たせなかった結婚をさせてあげようと神仏に願うために描かれた絵馬であり、人に見せるために描かれた絵馬ではないからである。そして、そこには子やきょうだいを亡くした方々の痛切な思いが込められているからである。

     ムカサリ絵馬を納めたある方は亡くなった息子さんを思い出しながら涙を流しながら一生懸命自分で絵馬を描いたという。ムカサリ絵馬を納めた後も、気持ちが晴れることはなく、毎晩息子さんが亡くなった時刻に目が覚めてしまうという日々がもう15年以上も続いているという。その方の納めた絵馬がお寺に大切に保管されていることを私が話すと「ありがたいなあ」とおっしゃっていた。また、別のある奉納者はムカサリ絵馬を一度納めた後も、月命日に毎月必ずお寺にやって来て自分が納めた絵馬に手を合わせていくという。

     子やきょうだいを年若くして亡くし、生きていれば叶えてやれること、してあげられること、それが全くできなくなってしまうというのはどれほどの苦しみと悲しみなのだろうか。経験のない者にとっては全く想像のつかない壮絶なつらさであることはいうまでもない。

     「ムカサリ絵馬」は本来、「展示」するものではないのかもしれない。しかしながら「ムカサリ絵馬」は日本の死者や結婚に対する思想について学術的に貴重であり、多くの研究者が目にする機会を与えるのは意義のあることと思っている。また、これまで「ムカサリ絵馬」は好奇の視点から奇異な風習として注目されることも多々あり、誤解されてきた。展覧会で研究者のみならず広く一般の方々に実物を見ていただくことにより理解を深めていただけるのではないかとも期待している。我々はけして安易な気持ちではなく、絵馬を貸して下さった寺院と奉納者への敬意をけして忘れてはいない。そのような我々の趣旨と心情をご理解いただき、本展覧会もしくは図録をご覧いただければと願っている。

     

    「ムカサリ絵馬」展実行委員会副代表

    志賀祐紀

     

    志賀祐紀「「ムカサリ絵馬」を「展示」することについて」、小田島建己、志賀祐紀、毛利夏子編『「ムカサリ絵馬展」―描かれた死者の結婚式―』、「ムカサリ絵馬展」実行委員会、2010年9月25日、36頁。

     

     

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